日々の出来事

カーナビがないと私はどこにも行けなくなってしまった

2016年6月28日

地図を買う。
目的地までの道順を、記憶の中の街並みをイメージしながら頭に叩き込む。
頭の中で「国道のあそこのビルが出てきたら、次の信号を曲がる」などとシミュレーションする。
走り出してからの自分の現在位置は、常に頭の中の地図の上を動いていて、実際の景色と重ね合わせている。
ぼけっとしていると、曲がる目印を通り越してしまって、冷や汗をかいたりする。
そういった体験や感覚は、はるか昔の思い出になってしまった。
今はカーナビがある。
目的地を設定するだけである。

私の車載のカーナビは、十数年使っているDVDナビだ。車を乗り換えた時も、同じナビを載せ替えてもらった。DVD地図データは、何度か新しいものに買い換えた。
古いカーナビでも、地図データが新しければ不自由することはなかった。しかし、二年前くらいからタッチパネルの反応が怪しくなってきていた。今年に入ってからは、反応しない場所が広がってきていて、とうとう目的地の設定ができなくなってしまった。
これではナビの役目を果たさない。「現在地表示システム」だ。

ナビがない運転は驚くほど不便だった。
どこに行くにも、不安で仕方ないのだ。
道を曲がるにも「本当にここで良かったっけ?」と自分を疑う。
私は、現在地と目的地との大体の位置関係は把握できているにもかかわらず、頭の中に地図を描き、記憶の中の風景と一致させることができなくなっていたのだ。
それは「携帯電話を使うようになって、電話番号を記憶しなくなった」というのとよく似ていた。

「テクノロジーは人を退化させる」とは、誰の言葉だったか。
私は自分が「退化したおっさん」になりつつあることには、薄々気づいてはいた。電話番号は全く覚えなくなった。簡単な漢字をど忘れして書くことができないこともしばしばある。読むことはできるのに、書けないのである。私は、テクノロジーに頼りすぎていたのだ。
これではいけない。せめて、中学生程度の漢字はすらすらと書けなければ、いつか恥ずかしい思いをするだろう。

私は新聞のコラム欄の書き写しを始めた。
書き順の怪しい感じはネットで調べながら、なるべく丁寧に書き写す。
どのくらい続ければ、効果出るのかはわからなかったが、やらないよりはマシだろう。
今のところ、書き写しは毎日続けている。
「文章は黙読するよりも、音読したり書き写したりする方が、その内容を深く読み取ることができる」
そんなことを、実感する作業でもあった。

カーナビのない運転は、相変わらず慣れなかった。
今更、地図を買い揃える気にもならなかったし、ナビの利便性に抗うことができなかったからだ。
ナビを買い換えようかとも思ったが、ちょうどガラケーをスマートフォンに買い替えたこともあり、試しにカーナビアプリを使ってみることにした。

私はまず、スマートフォン用の車載ホルダーを購入した。

AVANTEK 車載スマホホルダー ダブルクリップ CM04

これは、エアコンの送風口に取り付けるタイプのものだ。思っていたよりも、しっかりと取り付けることができる。

取付けは送風口に差し込むだけ

取付けは送風口に差し込むだけ

スマホをしっかりマウントしてくれる

スマホをしっかりマウントしてくれる

ナビアプリは「Yahoo!カーナビ」を使うことにした。他のアプリも検討したが、「Yahoo! カーナビ」は画面構成が専用ナビに近かったのだ。

Yahoo!カーナビ

目的地は、あらかじめ「Yahoo!地図」で検索しておいて「お気に入り」に入れておく。「Yahoo!カーナビ」のメニューから「キープ」を選ぶと、お気に入りに入れた目的地が並んでいるから、それをタップするだけで目的地セットが完了する。

驚いたことに、音声付きナビゲーションは、専用のカーナビに勝るとも劣らないのである。少なくとも、私が今まで使ってきたDVDナビよりも優秀だった。おまけに、地図データの入れ替えなどは必要なく、常に最新地図でナビゲートしてくれるのだ。危惧していた画面の大きさも、全く気にならない。

画面は専用カーナビに近い

画面は専用カーナビに近い

地図と音声で丁寧にナビゲートしてくれる

地図と音声で丁寧にナビゲートしてくれる

こうして私は、ふたたびテクノロジーに敗北した。
ナビ無し生活には、もう戻れない。