日々の出来事

さらば愛しき犬よ – Farewell, My Lovely Dog –

2016年5月12日

彼が我が家にやってきたのは5月6日。九年前のことだ。
犬種はシーズー。オス。推定年齢5歳。最初につけられた名前はわからないが、保護団体では「マルセル」という立派な名前をもらっていた。
今にも飛び出しそうな眼球を持ち、色はきれいな白と黒のブチで、他のシーズーに比べるとやや大ぶりの体格の彼は、縁あって我が家に譲渡され、三度目の名前は「マル」となった。そして、5月6日は彼の新しい誕生日になった。

マルはしっかりとした犬だった。家の中でもトイレはきちんとできるし、無駄吠えもしない。そして、人の手を噛んだりもしなかった。
妻にはすぐに懐き、一緒に散歩をするのを楽しむようになった。しかし、私と二人での散歩は嫌がった。彼は人間の男が嫌いなようだった。散歩中など、女性には擦寄る仕草を見せるが、男性にはけっして近づかないのだ。
女性には懐く。人間の男が嫌い。
特に私を含め男性の脚が近づくのを嫌がった。男に蹴られた思い出でもあるのか、それともただ女が好きなだけなのか。犬の気持ちなど私にはわからなかった。

道具を使って遊ぶ、ということに慣れていないようだったマルが最初に興味を示したのは、噛むと「ピコピコ」と音が鳴る、ぬいぐるみの素材でできたおもちゃだ。
こいつで遊ぶのはいつも家の中だ。私の寝床に向かっておもちゃを放り投げると、獲物を狩る猟犬のごとく全力で追い、飛びつき、咥える。咥えたまま二、三度振り回したあと、前脚で獲物を固定し、急所である「ピコピコ」と鳴るスポットを牙で探る。何度か音を鳴らし、満足すると「また投げてくれ」と言わんばかりにおもちゃを咥えて持ってくる。この時ばかりは、野生の本能が蘇るのだろう。
「犬だな」
嘲笑ともつかぬつぶやき。そしていつしか私の寝床は、マルのための狩場となっていった。

ドッグランに連れて行っても妻から離れようとしない。他の犬と遊ぶこともしない。
おそらく「他の犬と遊ぶ」といった経験がないのだろう、と私たちは思った。
私が抱いて、妻から少し離れた場所に連れて行き手を放すと、尾を振りながら妻の元へ全力疾走する。
妻が抱いて、私から少し離れた場所に連れて行き手を放す。マルはその場で尾を振り満足そうに舌を出す。
何度ドックランに連れて行っても、その繰り返しだった。マルは他の犬と遊ぶよりも、常に妻のそばにいることを望んだ。やがて私たちは、ドックランに行くことをやめた。
近所の土手や公園を散歩する。家の中でピコピコで遊ぶ。それでマルは十分満足そうだったのだ。

妻の行くところ、マルはついてまわった。
掃除や洗濯は言うに及ばず、風呂に入っている時は脱衣所で彼女を待ち、トイレに入ればドアの前で待つ。
「マルは私のストーカーだわ」
あきれるようにそう言って、妻は笑った。

 
仕事から戻り玄関を開けると、マルは全力疾走で足元まで走ってくる。私を見上げ、ひと吠えすると全力疾走でリビングに駆け戻り「ピコピコ」を咥え音を出す。
自分で隠しておきながら、うまく見つからないこともあって、そんな時はぐるぐると探し回ったあげく、私に向かって吠える。
「私が隠したわけじゃない」
そう言ってもマルには伝わらないので、脱衣所あたりと見当をつけて見つけ、渡してやる。礼はいらない。お前がそれで満足ならば。
マルがおもちゃでピコピコと音を鳴らす。側で妻が笑っている。そして私も笑っていた。

マルが家族の一員になって四年。彼の異変に最初に気付いたのは妻だった。
「少し右脚を引きずってる感じがする」
そう言われ、注意深く観察すると、確かに右後ろ脚の動きがおかしかった。
すぐに近所のかかりつけの動物病院で見てもらうと、右後ろ脚に炎症を起こしていると診断された。その病院にはレントゲンなどの設備がなく、触診のみでの診断だった。
しかし、しばらく様子をみても脚はよくならず、私たちは少し遠くの、設備の整った病院に連れて行くことにした。

検査の結果は「軟部肉腫」というもので、右後ろ脚の切除が必要と診断された。念のため、犬のがんに詳しい別の病院でも診てもらったが、診断は同じだった。
放っておけば確実に死に至るが、付け根から切除すれば、転移の可能性は低い。
「慣れれば片方の後ろ脚で歩けるようになりますよ」
私たちは、担当してくれたオカマっぽい男の先生の言葉を信じ、手術をお願いすることにした。

術後、縫合部の出血がおさまるまでの一週間、マルは入院した。
入院中、私たちは何度か術後経過を聞きに病院へ行ったが、私がマルに会ったのは一度だけだった。檻の中のマルは、下半身を包帯で巻かれ、点滴のチューブのようなもので繋がれていた。私の姿を見つけると、一刻も早くここから助け出せと言わんばかりに、必死の形相で吠え始めた。その姿はあまりに痛々しく、私は見ていることができなかった。

マルは三本足になって我が家に帰ってきた。
退院後しばらく経つと、オカマ先生の言うとおり、三本足で歩くようになった。そして、走るようにもなった。
動物の適応能力にはまったく驚かされる。
オス犬は片足を上げておしっこをする。右脚を上げる時はいい。しかし、左脚を上げる時、あるはずの右脚が無いからずっこける。そんなことを繰り返すうちに、前脚二本で倒立するようにしておしっこをする技をマルは覚えた。その姿を見るたびに妻と私は「おーっ」っと驚きの声をあげるのだった。

ある日、私は夢を見た。
リビングに横たわる裸のおっさん。体は白黒の斑模様、顔は温水洋一に似ていて、耳だけは犬の耳だった。
「マル」
夢の中の私にはそれがマルだとすぐにわかった。それを不思議とも思わなかった。夢とはそういうものなのだろう。
マルは肩肘を立て顎を手のひらに乗せ、私を見上げ話し始めた。
「俺さぁ、ずぅっとこの家に居たいんだよね…」
夢の中だというのに、私は狼狽した。そんなことを言われるとは、夢にも思っていなかったからだ。
声にならない声を絞りだそうと力を込めた瞬間、目が覚めた。
私は手のひらで涙をぬぐった。妻の寝床の足元で、マルは静かに眠っていた。
夢は人の心と記憶が作り出した幻影にすぎない。私の心の中のマル。今そこで眠っているマル。

朝になり、妻に夢の中の出来事を話した。
「なんで私の夢には出てきてくれないのかなー」
不満げだった。そもそも、彼女はあまり夢を見ないのだった。

マルが三本足になってから、彼のシャンプーは私の仕事になった。
全裸であぐらをかき、その上で抱きかかえるようにして体を洗ってやる。そうすると、マルは気持ちよさそうに目を細める。
抱いたまま、乾いたバスタオルで体を包むようにして拭いてやると、今度は猫のように喉をぐるぐると鳴らす。
私ができるのはここまでだ。
ドライヤーは妻でなければ駄目だった。マルが嫌なことを我慢できるのは、彼女と一緒の時だけなのだ。

残った左後ろ脚の動きが怪しくなってきたのは、それから数年後のことだった。

左後ろ脚の麻痺が始まって、マルが自分の脚で散歩することができなくなると、私たちは犬用のカートに彼を乗せて散歩するようになった。
夏の夜、星のない空を見上げながら。花火の音を聞きながら。
夏が過ぎ、秋になると、マンションのエントランス脇で日向ぼっこをしたりした。

介助なしには排泄も不自由だった。
前脚だけでトイレシートへ這ってゆくのが合図で、私か妻のどちらかが下半身を抱き上げるのを待ってから排泄した。
「えらいねー」
彼は、我が家に来た時からずっと、しっかりとした犬だった。
「なんでこんないい子が捨てられたのかな…」
ことあるごとに、夫婦どちらかが口にする言葉。犬はけっして人を裏切らない。裏切るのはいつも人間の方だった。

やがて、前脚もあまり動かなくなった。
前脚が動かなくなると、自分で水を飲むことさえ、不自由になった。マルは水が飲みたくなると、声を出して合図した。
妻は、ダンボールと何本かのバスタオルを使ってベッドを作った。ベッドはリビングの、私と妻の座る位置の間に置き、そこがマルの定位置になった。
排泄も垂れ流しになってしまうので、下半身のあたる部分には、犬用トイレシートを敷いた。排泄すると、マルは声を出してそれを教えてくれる。そのたび取り替えてやれば、かぶれたりすることはなかった。
顔のあたる部分のタオルは、日に3、4回取り替える。よだれでびしょ濡れになってしまうからだ。ふかふかで乾いたタオルがマルの好みだった。

妻はリビングのマルの隣で眠るようになった。夜中に排泄した時、トイレシートを交換するためだ。
私もすぐ近くに布団を敷き、そこで眠った。普段から私の眠りは浅く、マルの声に気づきやすかった。

相変わらず風呂は大好きなようだった。私たちは、マルの入る大きさの「たらい」を買ってきて、それを彼の湯船にした。
両手で支えながら、ぬるま湯に入れる。マルは目を細め、ぐるぐると猫のように喉を鳴らす。
妻がドライヤーをかけ、乾いたバスタオルに包んでベッドに連れて行く。彼女が顔を近づけると、ペロペロと飽きることなく、口や鼻を舐める。妻の笑い声。私はそれを眺めながらビールを飲むのだ。

夜中。マルの声で目が覚める。トイレシートが湿っているのを指で確認し、交換する。
マルを抱き上げ、水を飲ます。乾いたタオルで、口のまわりをぬぐってやる。タオルを顎にあて、頭を撫で、耳の近くを掻き、また頭をゆっくりと撫でる。マルはぐるぐると喉を鳴らす。それが、満足感をあらわしているのかどうか、実のところ私にはわからない。動くことのできない彼に私がしてやれることは、そのくらいしかなかった。

2016年5月5日。マルは永遠の眠りについた。
大好きな妻の手でやさしく撫でられながら、ゆっくりと、本当に眠るように。
翌日がマルの誕生日で、我が家にきてからちょうど十年だった。推定年齢15歳。

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自由に動けなくなってからのマルは、いったいそれをどう感じていたのか。つらい毎日ではなかったのか。そのことを思うと、灰色の雲が私の心を覆った。
何もできず、ただ私たち夫婦と触れ合うだけの日々が、彼にとってどんなものであったのか。
確かなのことは、マルがいてくれた間の私たち夫婦は、とても幸せであった、ということだ。

正直に言うと、今、君がいなくなってしまって、私はとても不安なのだ。
私の夢の中のマル。声にならない声。

「いつまでも、この家にいていいんだ。ここはマルの家なのだから。」

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