連載ブログ : FREETELで格安スマホ生活を始めた
第四回 バッテリー問題
私はシリアスな問題に直面していた。
特別な設定はせずに使い始めた FREETEL MIYABI ではあるが、バッテリーの減り具合が気になるようになったからだ。
注視してみると、スリープ状態で1時間に2%程度減ってる。これでは何もしなくても1日で50%近く消費する計算になるではないか。
私は狼狽した。
「Android端末はバッテリーの持ちが悪い」という噂は聞いていたが、これは想定外だった。
気を取り直しネットで調べてみると「設定を調整することでバッテリー消費を抑える」というのが、Android使いの必須テクニックらしいということがわかった。
適切に設定を施すことで、いったいどれくらいバッテリー消費が改善するのか。
「私の人生から好奇心を除いたら、何も残らない。」
私は、できることをすべてやってみることにした。
まずは基本とも言える「設定」からだ。
WiFi詳細設定
・ネットワークの通知 → OFF
・スキャンを常に実行する → OFF
・スリープ時にWi-Fi接続を維持 → 電源接続時のみ使用する
ディスプレイ
・明るさの自動調整 → OFF
・スリープ → 操作が行われない状態で1分経過後
・スクリーンセーバー → OFF
・端末が回転した時 → 縦向きのままにする
電池
・スタンバイ省電力モード → ON
次に同期設定を調整する。
「設定」→「アカウント」→「Google」と進み、表示された自分のアカウトをタップ。
これでアカウントの「同期」状態が確認できる。
デフォルト設定では、使っていないサービスもすべて同期が ON になっていた。
私は以下の同期だけを残し、他はすべて OFF に設定した。
・Chrome
・Gmail
・Keep
・アプリデータ
・カレンダー
・ドライブ
・連絡先
それ以外に行った設定は以下のとおりだ。
・「設定」→「アカウント」→「twitter」の同期をOFF。
・寝ている間は自動で電源が切れるよう「電源ON/OFFのスケジュール設定」を設定。
・「Google設定」→「検索とGoogle Now」→「Nowカード」で「カードを表示」を OFF に設定。
私はこの状態で様子を見てみることにした。
これらの設定に、どれほどの効果があるか、確認するためだ。
ディスクの肥やし
私は暇さえあれば「設定」→「電池」を確認するようになっていた。
寝起きに確認。朝食後のコーヒーを飲みながら確認。事務所に着いたら確認。仕事の合間に確認。昼食を摂りながら確認…。
いつしか私は「バッテリー消費問題」に取り憑かれていた。
それに、期待していたほど燃費が伸びないことが、私を悩ませていたのだ。
日に何度も繰り返し「設定」→「電池」を眺めていて気がついたことがある。
起動した覚えのないアプリが、バッテリーを消費しているのだ。
Facebook と Facebook Messenger。
特に、Messenger はほとんど使っていないにもかかわらず、バックグラウンドで動いているようなのだ。
「設定」→「アプリ」→「実行中」で確認し「停止」。
が、気がつくとまた動き出していたりする始末だ。
その執念深さに、私は辟易した。
ネットで調べてみると、この二つのアプリはバッテリー消費に大きく関係している、と書いてある記事がいくつも見つかった。
「こいつらめ、どうしてやろうか。」
考えたのは一瞬だけだった。
私はこの二つのアプリを削除するという行為を躊躇しなかった。
なぜなら、Facebook はブラウザがあれば使えるからだ。
Facebookのヘビーユーザーならアプリの恩恵もあるだろう。しかし、私にとってそれは、ディスクの肥やし以外のなにものでもなかったのだ。
呪縛からの解放
こうした努力の甲斐もあり、バッテリーの持ちはずいぶんと良くなった。
今のこいつならば、何もしなければ4日は楽に持つ。何もしなければ。
「何もしなければ…」
気づけば私はバッテリー消費を気にするあまり「できるだけスマホアプリを使わない」という習慣を身につけてしまった。
これでは本末転倒ではないか。アプリ使わないスマホは、ただの電話機だ。
私は愚かな自分を嗤った。
スマホのバッテリーなどというものは、2日も持てばいいのだ。いや、毎晩寝る前に充電してもいい。
便利な機能を封印してまで、バッテリー消費に気を取られるくらいなら、スマホなど捨ててしまえばいい。
私はいくつかの設定をそっと元に戻した。
・スリープ時にWi-Fi接続を維持 → 常に使用する
・「検索とGoogle Now」「Nowカードの表示」→ ON
アプリも躊躇せず使うことにした。それでも2日は充電することなく使えるのだ。
度を越したこだわりこそが、心を無駄に消費することに、私は気づいた。
こうして私は「バッテリー消費問題」という呪縛から、解放されたのだった。